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長く休ませて頂きました。コロナウイルス蔓延の為 自営業をしておりますので 打撃を受け 資金繰り及び事業(本業以外の事業)の為奔走しております。親父の事業を継承いて。親父の仕事を手伝いしだした1978年頃オイルショック、1991年頃バブル崩壊、1995年阪神淡路大震災 をその都度乗り越えてきましたが、今回のコロナ不況は、創造を絶する大打撃です。私も年齢的にも「なにくそ」の精神で立ち向かってきました。オイルショックの時は、時間が余りすぎたので「一般毒物劇物取扱者」「商業簿記3級」の資格を取得次なるステップを期待しました。バブル時は、バブルの恩恵は受けませんでしたが、何とか乗り切りました。阪神淡路大震災時は、業績悪化の為3月には、倒産を覚悟しておりましたが、お客様の7割が阪神間でしたので予想より早く破産確実でした。「座して死すより戦い死す」の精神で何とか5万円を作り震災(1月17日)の翌日ミニバイクを購入(バイク購入に殺到していましたので結果的には中古を新品として騙され購入)

3日目にそのバイクで4時起きで阪神間のお客様を回りました(当時西宮市に居住)11階に住んでおりましたので自宅は、靴を履いて片付けておりましたが、先ずはこの目でお客様の様子を確認する為水だけを積んで西宮から須磨まで約10件をくまなく回りました。創造を絶する光景を見ながらバイクを走らせ、自分の行動は、間違っていない事に気付き「行動無しでもバンザイ、行動してもバンザイ」後で後悔しても仕方ないので週2日阪神間をお客様回りをする事にしました。お客様の大多数は施設が使えないほどの破損でした。同業者のほとんどは、ニュースで見る光景で阪神間は、暫くは来ませんでいた。3回みの営業でワンボックス(タウンエース)に一杯の商品を納入になりました。後3年間2日に1度4時起きで納品に向かいました(主要道路許可車のみの通行で時間がかかりました)