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御無沙汰です!!コロナで自営業の為大変で 心に余裕が無く記事を書く元気をなくしておりました。

気を取り直し 元気を奮い立たし おっさんの昭和を案内させて頂きます。

大阪城の近くで1950年二男(長男は誕生後病死)として生まれ育ちました。

生まれた時から病弱で何度も入院し一度は、死にかけたとの事。其の為小学校を出るまで小遣いは、一銭ももらえませんでした。何故なら、買い食い(駄菓子等)をすると即お腹を壊す状態でした。おやつは、親から与えられ管理されていました。

辛かったのは、家の前の公園での紙芝居でした。紙芝居では、お金(幾らかは覚えていませんが)を払い余り衛生的でない食品or?(他の商品か忘れました)小遣い無しの為紙芝居を遠目・横目でしか見れませんでした(ただ見厳禁でしたので)

一度どうしてもお金が欲しくて祖母の財布から黙って頂き紙芝居を見に行きました。お菓子の中から一番不衛生な酢昆布(糸を引いた)を選び食し 結果やはり激しい下痢になり親の逆鱗に触れました。

1953年3年保育で近くのカトリックミッション系幼稚園に入園しました。

家庭は、裕福では有りませんでしたが、教育ママゴンでしたので誰も逆らえませんでいた。近所では誰もその幼稚園に入園者は、いませんでしたので 誰も友達は、いませんでしたので 幼稚園児・弟だけが遊び仲間でした。

*1953年~1956年は物資・食品は、お金さえあれば何でも手に入りました。

欲しい物が全て手に入りませんでしたので、お金持ちと違い翌我慢をしておりました。

例えば見舞い品でも 果物(今と違いリンゴ&バナナ&桃)でした。